大学に入り感じたことで、あきらかにそれまでの高校生活と違うのは、誰もが「周りに合わせず、ひとりひとり、自分のペースで歩いている」という事実です。
キャンパスを歩く人も、学生食堂で食事をする人も、一人でいる人が多いことに気づきました。
入学したての新入生のなかには、まだ高校生の様にグループで行動する人もいますが、不自由だし、騒がしく周囲の迷惑になっていることに、すぐ気づきます。やがていつのまにか、多くのグループはほどかれていくのです。
それぞれが、それぞれ違う「価値観」をもっているのだ と気づいたのもそのころでした。
高級ブランドがブームになっていたため、高い洋服やバッグにこだわる人ももちろんいました。一方で親からの経済的自立をして、どちらかというと「貧乏自慢」な人も数多くいました。なにかに悩んで学校に来なくなり、やめてしまった人もいました。アルバイトをして旅行に行くことを繰り返す人もいました。
そんな周りの誰もが「他の誰にも似ていない自分」を持っているように見えました。そのうち私は、ようやく自分をかえりみるようになったのです。
「周りに高く評価されたい」「親からほめられたい」という思いだけに突き動かされて「自分のアタマで」何一つ考えずに生きてきた自分、親から自立しているわけでもなく、趣味やモノに対する価値基準を持つわけでもない自分・・。
そもそも、判断するときに「これは親の気に入るかどうか」「これを親が許すかどうか」といちいち考えていたわけですから「自分の価値観」などというものが当時の私にあるはずもありません。情けないほど私はからっぽでした。友人のなかには、それにすぐ気がついて、憐れむような視線を向ける人もいました。
なんとなく くやしくて 人と違う自分を演出したくて、無理に嫌いなものを見つけ出し、「嫌いだ 嫌いだ」と主張してみたこともありました。妙にとんがっていて、ひどく幼稚な私は、いま思えばコンプレックスのなかにいたのでしょう。
やがて私は、初めて自分自身をみつめ、世界をみつめ始めたのでした。
そして、今まですごした自分の家庭や、自分の出た高校が、いかに狭かったかに、ある日気づいて愕然としたのです。どれほど 矮小な価値観に彩られ、差別的な場所だったか、ということに。
学校の成績が良いこと、能力が優れていること、何かの賞をとること、とにかく「目に見える優秀さ」だけを評価し、誰かと比較し、誰かを差別し、息をするようにいつもいつもその評価を口にし、姉妹間で争わせ、頑張らせることに長けた両親のもとで、なんの疑いもなく育った自分に気づいたのです。
「勝ち組になれ」という信条のもと、点数だけで生徒を評価し、仕分けし、大学進学率を延ばすことに汲々とする「進学校」の空気を思い出しました。そこには、「個性」とか「価値観」とか「自己決定」などといった言葉すらなく、「比較」「競争」「格付け」だけがありました。
親元を離れ、大学の空気に触れ、自分の頭で考えるようになって、初めて私はそのことに気づいたのでした。
同時にそのころの私には、精神的な「膿み」のようなものがではじめました。悪い夢を見て、朝起きたら、自分の手が傷ついている、という日もありました。当時受講していた心理学の先生に相談すると、「過去の恐怖や怒りをおしこめていませんか。つらかった過去ほど 表にだしたほうが良いですよ」とアドバイスされました。
私がまず思い当たったのは、「地獄の教室」でしたが、そのことを誰かに知られることなど、到底そのころの私には考えられませんでした。あのことは誰にも話せない、あんな忌まわしく、屈辱的な自分なんて、表に出せるわけがない(ばれてるけど)あったことをなかったことにして生きるしかない、そう心に思い決めていた私にとって、その先生のアドバイスは、到底できない相談でした。「地獄の教室」をこうして初めて表に出した2019年は、あれから実に35年も経た、遠い未来のことになります。
ただ、私は、もうひとつの本当の理由については、まだ向き合っていませんでした。
大学生になって一人暮らしを始めても、私は、実家の両親に「自己決定」を許してもらえていませんでした。選んだアルバイト先や、女子バレーボール部に所属していること、新しい友だち、すべて私が「自分で選んだこと」に対しては、母は執拗に小言を言いました。
思えば私が「自分で決めたこと」は、母には気に入らないもののようでした。「親の言うとおりにしておけばまちがいないのよ」というのが母の口癖でした。「お母さんの言うことをきいて正解だったでしょ」と娘にきき、「うん」と言わせるのが、母は好きでした。
将来の仕事、結婚の時期、結婚する相手の出身地、すべて、これから先の人生も、両親が決めていくことを、私は予感していました。それに反発することも考えられないほど私は飼いならされていたわけですが、「自分のアタマで考える」多くの友人との出会いにより、次第に私は自分に疑問を感じはじめたのでした。